濁水祠は樂水社區(現在の宜蘭県大同鄉 樂水村 碼崙部落)に有りました。 日本統治時代に太平山の林業が盛んだったころは楽水村の碼崙部落に大同郷の役場、学校や警察そして消防署、憲兵隊宿舎、診療所などが有りましたが、台風の被害でしばしば交通が遮断され、役場は濁水(蘭陽)渓対岸の現在の位置に移動しました。 臺灣總督府文教局社會課編《臺灣に於ける神社及宗教》によると宜蘭縣大同鄉樂水村 (バヌン;碼崙社,原名濁水) 建有 バヌン (濁水) 祠は昭和 18 年 (西暦 1943 年)に濁水祠として、昭和 9 年 (1934 年) 6 月 10 日鎮社、北白川宮能久親王、開拓三神 (大國魂命、大己貴命、少彥名命)、天照大神が祀られ、毎年 11 月 28 日に祭事が行われたそうです。 日本の台湾統治が終わりを告げると、太平山の檜で作られた濁水(楽水)祠神社の鳥居は盗まれてしまい、現在は基台のみが残されています。(右の写真)鳥居に使われた柱の直径は30cm程あり、その間隔は3m程であったそうです。 正殿の跡には約9m四方の正方形のコンクリート製の台がが残されています。 正殿は6m四方のコンクリート製で、そこへと続く6段の階段が見られます。 また、拝殿の四方には柵柱が残されています。
拝殿の四方にある柵柱
拝殿に続く階段
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![]() 祠の跡
![]() 濁水祠鳥居基台(濁水神社)
交通:
GPS 位置 24° 35.940'N 121° 31.869'E
※碼崙部落のすぐ近く、宜51道路脇には旧太平山森林鉄道の楽水駅が有ります。 |
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